ホテル ホワイトキャビン

東京メトロ千川駅徒歩0分。池袋エリアで全室駐車場完備のデザイナーズ・ホテルです。

がんばれ、日本

イメージ 1

イメージ 2

北京オリンピックがたけなわです。北島康介選手や谷本歩実選手の金メダルに感動した方もたくさんいるでしょう。


13日現在、日本選手団は、4個・2個・3個の合計9個のメダルを獲得しました。

前回2004年のアテネオリンピックでは、日本選手団メダルラッシュに沸き、金メダル16個・銀メダル9個・銅メダル12個の合計37個のメダルを獲得しました。これは、日本が出場したオリンピックの中で過去最高のメダル獲得数です。ちなみに金メダルだけの獲得数では、アテネと1964年の東京での16個が最高です。地元開催の東京オリンピックの時は国中が沸き立ち、柔道が正式種目となり、日本が先進国としての一歩を歩み始めた記念すべき大会でした。


オリンピックに出るだけでも並大抵のことではないのに、世界で頂点を極め続けるという至難の技を成し遂げた人たちがいます。

体操王国といわれた 日本体操男子団体チームは、1960年のアテネ大会から1976年のモントリオール大会まで男子団体チームとして前人未踏の5連覇を果たしました。その後、体操王国日本は世界の頂点から落ち、オリンピックでの入賞も叶わない時代を経て前回のアテネで見事復活の金メダルを得て、今回の北京では堂々銀メダルを獲得しました。
今回の男子体操団体メンバーの内、半数が19、21、22歳と若いので、次回のロンドンでの金メダル奪回が期待されます。

日本男子団体チーム以上にすごい記録を達成したのが、かつてのソ連女子団体体操チーム。

ソ連がオリンピックに初参加した1952年のヘルシンキ大会から1980年のモスクワ大会までなんと怒涛の8連覇。9連覇がかかった1984年のロサンゼルス大会は不参加でしたので連覇の記録は途切れましたが、続く1988年のソウル大会で見事に金メダルを獲得し、ソ連が崩壊した後の1992年のバルセロナオリンピックには旧ソ連12か国で組織した「独立国家共同体」(EUN)として参加し、再び金メダルを獲得しました。EUNとして参加したものを含めれば、10回参加した大会で10回とも金メダルを獲得するという偉業を達成しました。
あの頃のソ連女子体操選手はゴムマリのように跳躍していました。


日本がオリンピックに初参加したのは、1912年の第5回ストックホルム大会からです。

この時の参加選手は、短距離とマラソンのわずか二人でした。

その後、2回目の参加となる1920年アントワープ大会で初のメダルを2個獲得しました。
日本人オリンピック初メダルは、熊谷一弥選手が獲得したテニスのシングルスとダブルスの銀メダルです。

そして、1928年のアムステルダム大会において、日本は初めての金メダルを2個獲得しました。その2個とは、
織田幹雄選手が三段跳で、鶴田義行選手が競泳男子200m平泳ぎで得たものです。
鶴田選手は、1932年のロサンゼルス大会でも同種目で金メダルを獲得し日本人として初のオリンピック2連覇を果たしました。

この1932年のロサンゼルス大会以降、参加したすべての大会で日本は 全種類のメダルを獲得しています。


今回の参加日本人選手数は、339人。
339人一人一人にそれぞれのドラマがあり、スポーツ素人には計り知れない努力と苦悩があると思います。

メダルが取れても取れなくても、人生のすべてを賭けて競技に取り組んでいるアスリートたちの姿には、憧憬と畏敬の念を覚えます。


日本選手の皆さん、がんばれ。